聖書を理解する

聖書を読み解く鍵

3.「霊」を見分ける。

あらゆる物事が、天上の権威者(神)と空中の権威者(サタン)のどちらに属しているかを見分ける。

存在するものはすべて、神に属しているか、悪魔に属しているかのどちらかです。「私のもの」というものは、ありません。
 
神がお創りになって人を住まわせようとされた世界は、人が、神から豊かに食べ物をいただき(創1:29,2:9,16)、自然界を支配して、祝福の中に生きる(創1:26,28)ことが出来る楽園です。それはキリストの王国で、そこに住まわせるために人が作られました(ヨハ17:24)。
悪魔はそれを妬み、神に創られた人が神を捨てて自分を見るように誘いました。悪魔は元々は「明けの明星、曙の子」と呼ばれ、知恵と美しさに満ちた(イザ14:12-14、エゼ28:12-17)大天使でした。
(天上界で、アダムとエバが創造される以前に何があったのかは、人には知らされていませんが、創世記1:2の、「地は混沌であって(「混沌になって」とも訳される)、が深淵の面にあり」という言葉から、サタンの何らかの働きがかかわっている(それによって一度滅びている)ことが想像できます。そこに神は「光あれ」と、光を創造されました(ヨハ1:1-5)。)
ですから、私たちはまず、悪魔は大変美しく、ミカエルと同等の力を持っているということを、知っている必要があります。
 
この悪魔が、神が創造したエバとアダムを、自分のものにするために誘惑しました。神が食べてはいけないと命じられた木の実を使って、まず女、それから男です。賢い悪魔は、神が人をどのような特徴を持たせて創られたかもちゃんと知っているからです。そのように、悪魔は、個人でも集団でも思いのまま操ることができます。
悪魔(サタン、ヘブライ語で敵対者)が人を誘惑したのは、人から、地の支配権を奪うためです。人はサタンに身を売って誘惑の木の実を食べ、サタンの所有となってしまいました。サタンを選んだ人は、神の園から追い出され、サタンの支配する世界に置かれました。神の園は、ケルビムと、聖くされていないものの一切を焼き尽くす御言葉(きらめく剣の炎)によって、神の御子イエスが第二のアダムとして地上でサタンに勝利してから彼に与えられている人を連れて帰るまで、守られています(創3:24)。
 
すなわち、神のものとは、神の国(神の支配下)にしかなく、現在の世にあるもののすべては、この世(空中)の支配者(エフェ2:2)である悪魔のものです。ですから地上に生まれた人はすべて、生まれるとすぐに悪魔の支配下に置かれます。
 
しかし、すべての命の創造主は神です。悪魔は何も創造することはできません。命を創ることもできません。だから、神に敵対し命を否定するために、人を「死」に執着させるようにしました。そのようにして、人が自分の創造主である神を忘れるように仕向けました。
 
エデンの園には、神からの一つの命令がありました。
創2:16-17「主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
神が言われる「死」とは、命の根拠である神からの分離です。永遠に生き生きと生きる命を失うことです。神が与えた命とは、神と共に生きる永遠の命です。
 
これに対するサタンの言葉は、
創3:4-5「蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」で、これは、真実である神に敵対する言葉ですから、嘘です。
 
ここで彼が言っている「死」とは、霊に敵対する肉体の死のことでしかありません。しかしサタンの嘘に引っかかった人は、神の言う、永遠の「命」と「死」の意味に目が閉ざされて、サタンが人を騙すために持ち出した肉体の「死」を恐れ、この世限りの肉にある「命」に執着するようになったのです。
 
ここに示したように、サタンの策略を見抜くコツは、サタンが神の真実の言葉や被造物を利用して、そこに偽りである敵対のパン種を、人には分からないように混ぜ込んでいるのを読み取ることです。
 
次に、「善悪の知識の木から食べる」とは、本来、人がするべきではない善悪の判断を、自分でしてしまうことを言っています。そしてその木が中央に置かれていることは、人は神のことばを中心に置いていつも覚えて祝福の中で生きるのであることを示しています。(私たちは復活すると天使たちのようになるという祝福がありますが、天使たちは、自分で判断をしません。いつも神の御顔を仰いでおり(マタ18:10)、神を賛美し礼拝し、神の命令通りに行っています。)
 
しかし悪魔は、完全に神に信頼することなどやめて、自分で、神のように善悪の判断をしなさいと、人に勧めました。
 
それで、人は現在、そのように生きています。
それが当然正しいことであると信じています。
しかし実際にはそれが真実ではないことも知っています。例えば、犯罪者を本当に正しく裁くことができません。人は家族のことについてさえ、正しくは知っておらず、本人のようにその人を理解することはできません。自分のことでさえ正しく判断できません。人が知っていることよりも、神しか知らないことの方が、宇宙大に多いのです。しかし人は、自分で判断できないのにしようとすることで、自分を、「混沌」とか「混乱」といったサタンの分野の中に置いてしまっているのです。
 
また、人は、サタンの傲慢に従ったので、「自分のもの」があると思っています。本当は、サタンが人にそう思わせて、神から目を逸らさせ、人を支配しているだけなのです。例えば、命が自分のものだと思っているので、自分で判断して、自分の好きなように扱って良いと考えています。しかし、自殺や他殺がなぜいけないかというと、命は人のものではなく、神のものだからです。「自分のもの」は、何もありません。人は被造物であり、自分が存在の根拠ではないからです。
そして、サタンもまた被造物なのです。人は世にあるので、天使より低い位置に置かれていますが、本来は、天使が人に仕える者なのです。だから父は御子を人として世に遣わし、サタンから解放してくださったのです(ヘブ1:4、2:5-18)。
全ての命は神に属しています。被造物であるサタンは神に属するような永遠のものを何も所有していないのに、傲慢にも神から離れてしまったため滅びるしかなく、自分がそうなることも知っています。それで、人を騙してこの世の支配権を奪うことで空中の権威者となり、「死ぬ人」を自分のものにしたのです。人を道連れにして、あわよくば回復する神の国を乗っ取ろういう気さえ持っているようです(マタイ13:1-52)。
それで、人は必ず死ぬことが決まっているので、全ての人はサタンの支配下に置かれているということなのです。そのことによる弊害が、肉への執着です。そのようにして、サタンは人を「サタンのもの」にしています。
「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」というサタンの言葉は、嘘ですから、本当はこうなります。
「必ず死ぬ。それを食べると、目が閉ざされ、神のように善悪を知るものとはならない。」
「世」は偽りなのです。すべてのものは滅びます。サタンが「空中の」権威者と言われている通りです。そして人もサタンの子のままであれば、サタンと共に滅びます。
 
人は元々神に似せて創られ神と共にいたのですから、わざわざ一旦神から離れてから神のようになる必要はないのです。
 
もう一つ、神の国と地上との違いに驚く事実があります。
私たちは地上では何らかの職業についていますが、天上に労働はありません。労働は、人が死ぬ者となった結果、与えられました(創3:1719)。カインの子孫から様々な職業が現れました(創4:1922)。その場その場で人は善悪の知識の判断をしていくことになりました。これらすべてはサタンの支配下で為されることです。しかし、本来「仕事」とは、世や人に仕える事ではなく、神に仕える事であり、すなわちそれは礼拝です(黙22:3‐4等)。
私たちは、あまりにも多くの当たり前の日常が神の国の価値観に沿わないことに気付いていない、ということを知っておくべきです。
この世の不条理は、神の国では異常なことなのです。
 
 
それでは、神の支配下に自分を置くためには、どうすればよいのか。
私たちは主の祈りでいつも「御国が来ますように」と祈っていますが、それは、自分に神の御支配がありますようにという意味でもあります。自分が自分に従うのではなく、神の御支配の内に生きますようにという願いです。
 
それはイエス・キリストを信じることによって可能になります。そして信じた人は弟子になって命を得るようにと言われています。主イエスさまはそのために来られたからです。だから信じた人は、イエスのところへ行きます(ヨハ5:39‐40)。
「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。(ルカ14:26-27)」
「だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。(ルカ14:33)」
ありえないのです。
私たちは世と決別したなら、主に繋ぎ変えられたのです。両者の間に接点はありません。(Ⅱコリ6:14‐7:1)
ヨハ8:31‐32イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
ヨハ14:15 あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。
ヨハ14:21わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
ヨハ14:23イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。
ヨハ15:4‐5わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
ヨハ15:8‐10あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。